地域振興局からのお知らせ
柏崎地域版

良寛から愛され、柏崎を愛した幕末女流三大歌人「貞心尼(ていしんに)」をご紹介します

幕末女流三大歌人といわれ、良寛の最期を看取り、その全てを受け継いだ貞心尼は、良寛の死後、良寛との清らかで温かい心の通った交わりを「蓮の露」にまとめ、想いを胸に心満ち足りた一生を柏崎で過ごしました。ゆかりのある史跡を巡りながら、貞心尼に想いを馳せてはいかがでしょうか。

貞心尼の魅力について

貞心尼は30歳の春、70歳の良寛のいる島崎(旧和島村)に近い福島(長岡市)の閻魔堂に移り住みました。
その後の二人の純真で清らかな心の交流は、貞心尼が良寛没後、38歳の時にまとめた『蓮の露』の中に詠まれた唱和の歌でたどることができます。二人の清らかな心の交流の裏には、尼僧として厳しい修行を積んだ貞心尼の「仏道」とは何かを学ぼうとする真摯な姿勢と、禅僧として厳しい修行により高い境地に達していた良寛の、貞心尼の想いに積極的に応えようとするあたたかい思いやりがありました。

貞心尼略年表

西暦 和暦 年齢 年譜
1798 寛政10 1 長岡藩士奥村五兵衛の次女として誕生(俗名 ます)
1814 文化11 17 小出の医師 関長温(せきちょうおん)に嫁ぐ
1819 文政2 22 医師の家になじめず離縁される
1820 文政3 23 柏崎の閻王寺で心龍尼(しんりょうに)・眠龍尼(みんりょうに)の元で剃髪尼僧となり「貞心」と名乗る
1827 文政10 30 長岡の閻魔堂に入る
良寛を訪ね弟子となる
1831 天保2 34 良寛(74歳)と死別
1835 文政6 38 歌集「蓮の露」(最初の良寛歌集)を完成
1841 天保12 44 柏崎の釈迦堂の庵主となる
1872 明治5 75 弟子二人に看取られ亡くなる

貞心尼は幕末を代表する三大女流歌人の一人に数えられ、『蓮の露』のほかにも、歌集『もしほ草』、『やけのの一草』などを残しています。

貞心尼ゆかりの史跡をご紹介します

托鉢貞心尼像

ソフィアセンター敷地内(柏崎市学校町)

「托鉢する貞心尼」の像は、貞心尼生誕200年を記念し、柏崎良寛貞心会が広く浄財を求めて平成9年(1997)11月に建立しました。足下にいる犬は、貞心尼が「町中の犬にお腹いっぱいおから雑炊を食べさせてやってください」と言い残して亡くなったことにちなんでいます。

極楽寺

柏崎市若葉町

貞心尼は、極楽寺第28世静誉上人からいろいろと援助を受けていました。
貞心尼筆の歌集「もしほ草」は、貞心尼がお世話になった上人に御礼として送ったもので、寺宝として大切に保管されています。
また、上人宛の書簡等数々の貞心尼の遺墨が保存されていると共に、上人が描いた、貞心尼晩年の病中の肖像画が所蔵されています。

貞心尼のことをもっと知りたい方に

貞心尼を紹介したリーフレットをご紹介します。良寛と貞心尼の魅力と二人の歌物語の他、史跡の広域マップ、駅前通り等にある12基の貞心尼の歌碑と貞心尼ゆかりの史跡の写真を掲載しています。

貞心尼恋慕まっぷ

良寛と貞心尼の歌物語ガイドブック

良寛と貞心尼の歌物語ガイドマップ

良寛・貞心尼を慕う会 代表 中村由紀子さんにお聞きしました

●貞心尼はどんな女性ですか?

貞心尼は聡明で、とても芯の強い女性でした。二人が一緒にいたのは4年余りでしたが、良寛から多くのことを学んだ貞心尼は、良寛の最後を看取ってからも、その教えを守り続けました。また、良寛のことを多くの方に知ってもらいたいという一途な想いは、その後の貞心尼の生きる糧となったと思います。

【問い合わせ】柏崎地域振興局企画振興部地域振興課
TEL:0257-21-6208

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